そして原点へ
土曜日と言えば土曜ラン、かれこれ18年続く弊店の名物走行会です。
先週末も、いつもの時間、いつものコースで皆が集いました。
ただ、今回の土曜ランはいつもと違い、特別なものとなりました。
門田祐輔選手
昨年までヨーロッパを拠点に長く活動してきた、プロロードレーサーです。
2月15日、彼のinstagramやFacebook、門田選手オフィシャルHPにて、自身の競技生活引退を発表しました。
良い機会ですので、門田選手、もとい、ユースケとの出会いと歩みのストーリーを、少し長い文章となりますが、綴ってみようと思います。
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彼が小学生の頃、ご両親と一緒に来店した彼は、まだ両足を地面に着く事も出来ないGIOSの24inchのキッズロードバイクをご両親に買って貰い、嬉しそうに帰って行った事を、私は今でもよく覚えています。
それから少し経ったある日、彼のお父様からある相談を受けた私は、まだ彼らの本気度に正直気付いては居ませんでした。
「永井さん、この子はある日連れていったツアーオブジャパンでロードレースを間近に観戦してから、将来ロードレーサーになりたいと言う様になっているんです。
親としてもこの子が望む事を真剣に取り組ませてあげたいので、コーチとして面倒を見ては貰えないでしょうか?」
私は当然驚きましたし、困惑した事も事実でした。
大した選手でもなかった自分には、もちろん人に教えた経験などありませんでしたし、まだ小学生だった子に自転車に特化したトレーニングをさせる事に大きな抵抗があった為、私の考えを説明し、自転車だけに特化せずに、様々なスポーツを経験して行く中の一つとして、楽しく自転車に乗る事を提案しました。
やがて数年が経ち、彼が中学生になる頃のある日、再びお父さんから相談を受ける事になります。
これまで彼が考えを変えずにいる事、言われた通りに野球をはじめとする様々なスポーツを継続している事、そして家族として大きな覚悟がある事。
なんと、自宅のある府中から、家族ごとお店の近くに部屋を借りて引っ越しをしてきた事を伝えられます。
もちろん中学校進学も、その為に近くの中学校に入学すると言う事でした。
当然、私は仰け反るほど驚きましたが、同時にこの熱意に完全にやられてしまいました。
数日考える時間を頂き、本気で取り組もうとしているご家族とこの子に、教える知識やスキルも無い自分に何が出来るのか、そもそもお店との両立はどうするのか、自分の家族のケアはどうするのか・・・
しかし同時に、この子とこのご両親なら・・・・
今の自分に出来るだろう事がだんだんと頭に浮かび、チャレンジしてみたいと言う気持ちもどんどん増して行きました。
こうして私も覚悟を決め、彼とご両親との深い関係が始まりました。
トレーニングは中学入学から始まりましたが、続けていた野球は、完成された良いフィジカルトレーニングが多い為に継続して貰い、自転車のトレーニングは負荷の低い週末のサイクリングと、回転重視とフォーム形成の物を固定ローラーや3本ローラーにて放課後から夜に行う様にしました。
同時に、私は当時プロや海外エリートなどで活躍している国内外の選手達の幼少期の経歴などについても調べました。
彼等がその年齢の時、どんなレースを走り、どの程度のトレーニングをしていたか。
そんな中、当時中学生はレースの数は稼げないにしても、全国から本気度の高い中学生が集まるレースがある事に気が付きました。
それはシマノ鈴鹿ロードの中学生の部でした。
既にその年の大会は終っていましたので、2年生の夏のこのレース参戦をまず目標に、3年生時には同レースにて優勝する事を目標に定めました。
選手時代の色々な先輩や、現役の指導者、高校時代の恩師、Fassa Bortoloの選手や関係者、様々な方からいつもとても有益なアドバイスを頂きながらも、学生と言う生活スケジュールの特性上、時にプラン通りに進まなかったり、私の事情もあったりする事もありましたが、毎日必ず夜は店に現れては、軽いミーティングから入るトレーニングが日常となって行きました。
そんなある日、「同じ中学でロードバイクに乗っている先輩がいる」と言う話を彼から聞きます。
へーと思っていたある日、その子がお店に現れる事になります。
鳴海颯
後に2024年もルーマニア籍のコンチネンタルチームでも走る事になる、一個上の先輩です。
彼も祐輔の事を認識していた様で、その日はこんな奴がいるんだよと言った話をしたかと記憶しています。
やがて度々店に現れる様になる彼は、祐輔が夜練習をしていると言えば、知らぬふりして偶然夜現れ、朝練していると言えば、やはり知らぬふりして偶然玉堤通りに現れ、と言った事が何回か続き、やがて一緒にトレーニングをする良きライバルとなって行くのでした。
基礎トレーニングも一冬を越え、2年生の夏の鈴鹿に挑戦する為、いよいよ鈴鹿入りをする門田家と共に、門田家のご負担で私もレースに同行しました。
これが、彼が人生初出場のレースとなりました。
現在位置を確認するためのレースと割り切っていた私達でしたが、厳しい現実を見る事になります。
1日目 27位 4分03秒差 優勝は蠣崎優仁選手
2日目 25位 3分15秒差 優勝は大町健斗選手
サーキットたった2周の11.7㎞のレースでしたが、この両日に見た物は、やがて計り知れないモチベーションとなります。
帰りの東名高速のサービスエリア、4人でレースを振り返り、足りなかった事や今後のトレーニングや参戦して行くレースの事、将来の事、ヨーロッパプロの現実や選手生活のリアル等を話したと記憶しています。
鈴鹿を終え、門田家と今後のレースプランを練って行く中で、JCRCへの参戦、冬の埼玉クリテ4選への参戦などなど決まって行きました。
またそれに向けたトレーニングのプラン建ては本人と行いました。
バイクぺーサーなどの新しい試みもどんどん入れて行き、行田クリテ等では、その当時珍しかったGoProを取り付けて本人とレース中の振り返り等したりなど、目的のはっきりしたトレーニングとレースを心がけました。
こうして2年生の夏以降、野球部の練習に加えて、試行錯誤の自転車のトレーニングも日に日に増えて行きました。
3年生の夏、いよいよこの1年間の答え合わせをするシマノ鈴鹿に参戦する為、昨年同様4人で鈴鹿入りをします。
前日に鈴鹿市周辺にロードワークに出かけるも、私の走力を既に上回っている彼に坂でちぎられた事は今でも忘れません(笑)。
レース1日目、とにかく先頭集団にて最終局面までレースに参加する事。このレースの上位で出会う面々とは、その多くがこれからも戦って行く事になる奴らだと言う事、自分の采配でゲームを楽しむ事。
これだけを確認し合い、スタート。
1週目はすぐに前に上がるのが見えました。集団は縦長になり、12~3名の先頭グループに入っているのがダンロップからの下りで見えます。しかも3番手。
1週目の通過はポイント賞がありますが、トップで通過! これは上出来と思ったのもつかの間、カウンターでアタックが掛かると、昨年1日目優勝の蠣崎君、2日目優勝の大町君、奈良の吉岡衛君らがアタック、そこに付いて行けずに一人になってしまいます。
その後追走の何人かと合流し、戻ってきた蠣崎君含む6名で先頭2人を追う事に。
ゴールは大町君が単独で優勝、2位吉岡君、そして3位集団6名のトップで祐輔が帰って来ました。
距離こそ短いレースではある物の、しっかりレースでゲームをしていました。
優勝ではないけど、その後の選手生活の中でも、とてもインパクトがあるレースとなったのではないでしょうか。
2日目は前日のエラーを修正すべく走ったのですが、アタックには注意したものの結果は再度大町君の独走優勝、吉岡君の2位、3位集団の頭で祐輔が入り、中学生最後の鈴鹿が終わりました。
(左より2位吉岡君、1位大町君、3位ユースケの表彰台)
その鈴鹿の帰り、当然ながら昨年同様レースを4人で振り返りました。
そんな中、これからの進路と言う事で高校進学の話も当然出ましたが、この時すでに、進学せずにヨーロッパでレースをするのはどうか?と言う話題になった事をよく覚えています。
家族でその選択も視野に入れているのだと私は感じましたが、様々な現実やリスクなど、どちらかと言えば私からはネガティブなアドバイスをしたと思います。
ただ、日本のレースシーンにおけるレース数の少なさや、ヨーロッパにおける同年代が積む事の出来るレース経験など、現地でレース活動をする事の有利さのお話もしました。
その火種は、高校進学後にどんどん大きくなって行くのでした。
高校に進学し、競技部の無かったその高校で高体連のレースに出て行くには、高体連に学校として登録する必要がありましたが、学校の協力により部として活動が出来る事となりました。
この辺も、門田家の行動力には並々ならぬものを感じます。
ただ、やはり問題として現れてくるのはロードレースの数です。
トラック競技を含めて様々な大会は在る物の、ロードレースに関してはとても十分ではありません。
プロを目指す世界中の同世代達は、こうしている間にも毎週の様にレースを走っているのです。
そんな中、ベルギーで活躍されていた元プロロードレーサーで、Team EURASIAを運営する橋川健監督による、高校生の夏休みを利用したベルギーのレース参戦遠征の募集を知り、参加する事となります。
この遠征には鳴海颯もともに参加をする事になりますが、祐輔にとっても、とても大きな刺激となるのでした。
こうして本場にて、大きな刺激的な経験と骨折(笑)を持ち帰った彼は、冷めやらぬ本物のプロロードレース挑戦の為の渡欧を決意して行く事になります。
自分の意思と覚悟で、ご家族のさらに大きな覚悟にも後押しをされ、環境を自分達で切り開いて進んでくる姿を、そこまで私は見てきました。
それと同時に、私の役目はここで終わるべきと感じていました。
そして、大門宏監督をはじめとする様々な方の助言やご紹介もあり、当時フランスのブルターニュ地方で若者を現地のチームに派遣して育成活動をしていた福島晋一さん率いるBuonChanceに加入する事となります。
同時に現在の公立高校から通信制の高校への編入をしながら、現地のチームにてジュニアカテゴリーのレースに参戦して行く事になるのでした。
その後の活躍は皆様ご存知かと思いますが、ジュニアカテゴリーからその上の4つあるカテゴリーを勝ち進み(各カテゴリ4勝で昇格)その後昨年のEF Education-Nippo Development Teamまでが彼の選手キャリアとなります。
自分の人生においても、このPositivoと言う自転車ショップにおいても、こういった人物や関係する出来事との巡り合いは大変貴重な物であり、彼の実績もさることながら、様々な場面における彼とご両親の人間性に接して来れた事は、大きな財産と思っています。
彼が表に出る様になって、よく人から言われて来た「永井さんが育てた」ですが、確かに少年時代、目標に向かって一緒に取り組んでいた事は事実です。
しかしながら、本当に彼を強くしたのはまさしくフランスのレース、世界のレースで戦ってきたからこそです。
そして、選手として進んで行く上での様々なステージにおいて、その時の彼に適した接し方をした優秀な指導者達が、彼の選手としての実力を引き上げて行ったと言う事が、事実であり正解だと思っています。
もはや見守る事しか出来ませんが、これまでのような能動的な行動が出来る彼なら、これから始まる次のキャリアも楽しみで仕方ありません。
きっとこれからも、素晴らしい人生を歩んでくれることでしょう。
彼と、彼のご家族に敬意と誇りを持って、かみしめて走ったいつもの土曜ランでした。
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